神奈川県 歴史

日本で貝殻を拾って生活していたユダヤ人青年が世界一の石油王に!?

2024年09月18日 / 94

18歳の若者が、たった一枚の片道切符とわずか5ポンドを持って異国の地に渡り、後に世界的大企業を築き上げる――そんな驚くべき物語が現実にあったことをご存知でしょうか?その主人公は、マーカス・サミュエル。彼こそが、現在世界中で知られている「シェル石油」の創業者です。

迫害から逃れてイギリスに移住してきた、貧しいユダヤ人一家だったサミュエルの家族。しかし、両親は彼に「日本へ行け」という大胆な選択を与えます。兄弟が11人もいる大家族の中で、サミュエルは10番目の子供。彼は頭が良く、バイタリティにあふれた若者でした。そんな彼を見込んだ父親は、卒業のプレゼントとして日本への片道切符を手渡し、イギリスから遥か彼方の日本へと送り出したのです。

湘南の浜辺で見つけた一筋の希望

横浜に到着したサミュエルの手元には、わずか5ポンドだけ。今のお金に換算すると5万円程度。身を寄せる場所もなく、彼は湘南の海に向かい、今にも崩れそうな無人の小屋に潜り込みます。数日間、小屋でじっと過ごしながら、彼は何か道を切り開くアイデアを探していました。

そんな時、海辺で日本人が貝を掘っているのを見かけます。サミュエルはその光景に強く惹かれました。貝殻の美しさが彼の目を引き、「この貝は、何か価値があるのではないか?」と直感的に感じ取ります。これらの貝に加工したり細工を施せば、珍しくて美しい作品になり、それを売りさばけば、商売のチャンスが生まれるかもしれない…そう考えたサミュエルは、行動を起こしました。

毎日、貝を集めてはロンドンの父親に送り続ける日々が始まります。父親はロンドンでそれらの貝殻を売りさばきます。珍しさに作品たちは飛ぶように売れ、次第に資金が貯まり始めました。湘南の美しい貝殻が、彼ら親子にとって大きな富をもたらし、サミュエルはその後、自分の会社「サミュエル商会」を設立することになります。

灯油ビジネスへのシフト、そして世界への飛躍

サミュエル商会は最初、貝殻や日本製雑貨の輸出を主軸にしていましたが、やがて彼は灯油の可能性に目をつけます。当時、灯油は照明用の燃料として需要が高まり始めていました。サミュエルは大胆にも、この市場に進出することを決断。石油を大量に輸送するため、タンカーを開発し、世界初の石油タンカーを作り上げました。興味深いことに、そのタンカーの一隻一隻には、彼が湘南の海辺で拾った貝をモチーフにしたシンボルマークがつけられていたのです。

彼の会社はその後、ボルネオの油田開発に成功し、大きな利益を上げるようになります。そして、さらに大きな一歩として、オランダのロイヤルダッチ社と合併し、ロイヤルダッチシェルグループが誕生しました。この会社こそ、現在世界中で見かける「シェル石油」です。

ガソリンスタンドのシンボルが語る物語

今日、世界中に展開するシェル石油のガソリンスタンドで目にする「貝殻」のマーク。その背後には、湘南の海で貝を拾い、一攫千金を夢見た若きマーカス・サミュエルの物語が隠されています。彼は後に、「私はいつも貧しいユダヤ人の少年として、日本の海岸で一人貝を拾った過去を忘れない。それが私を億万長者にしてくれたのだから」と語っています。

ユダヤ人というと、金融業や商業で成功したイメージが強いかもしれません。しかし、マーカス・サミュエルの成功は、知恵と勇気によって、まったく新しいビジネスモデルを生み出した点にあります。彼は金融の世界ではなく、石油というエネルギー産業で成功を収めたのです。

片道切符が切り開いた運命

18歳の若者が、片道切符で異国に飛び込み、貝を拾うことでビジネスのチャンスを見出す――これほど大胆な生き方があるでしょうか?しかも彼は11人兄弟の中で、特に優れた頭脳と行動力を持っていたため、父親に信頼されていたのです。まさに「かわいい子には旅をさせよ」という言葉を体現したユダヤ人家族の一つの物語です。

ユダヤ人は古くから旅の民族として知られていますが、その旅によって彼らは様々な知識や経験を吸収し、世界中で活躍してきました。マーカス・サミュエルの物語も、その一例です。彼の冒険心とビジネスセンスは、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるでしょう。


最後まで読んでくださったあなたへ

今回のお話はいかがだったでしょう?

YouTubet「土岐総一郎の偏見聞録~オトナの裏教養~」でもお話しています。

動画内では当時の横浜の様子や、実際の貝殻の商品の画像もご紹介していますので、ぜひそちらも合わせてご覧ください。

https://youtu.be/9m0PGi1HECQ?si=2WPhi7PElIafwB4Q