鶴岡八幡宮の起源
この理由に、実はサムライが関わっています。
もともと日本には神道しかありませんでしたが、
飛鳥や奈良時代にかけて仏教が入ってきましたよね?
時代が下るにつれて「神様と仏様は、実は同じ」という
神仏習合思想が流行します。
この神仏習合思想の結果、八幡神社で祀られていた八幡神を、
八幡大菩薩として祀り始めます。
そして鎌倉時代に初の武家政権を打ち立てた源頼朝は、
八幡大菩薩を源氏の守り神としました。
こうして作られたのが「鶴岡八幡宮」です。
鎌倉幕府が滅びた後も、
源頼朝は武士たちにとって憧れの存在でした。
そんな源頼朝が崇拝していた八幡大菩薩を、多くの武士たちは
「源頼朝さまが信じていたなら、俺たちも信仰しなきゃ」と信仰し始めます。
このような経緯で八幡大菩薩を信じる人は増え、
戦国時代になるとそのブームはピークに達しました。
このようにして、八幡大菩薩を祀る神宮寺はどんどん増えていったのです。
しかし明治時代になり、明治政府は神宮寺の存在を認めず
八幡大菩薩を祀る神宮寺は、存続のために八幡神社となり
結果として、八幡神社が日本の神社の半数以上を占めることになったのです。