空から・・・
イスラエルの民が砂漠で放浪することになった時、
「食べ物がほしい」と、彼らはモーセと主なる神に駄々をこね始めます。
ここで主なる神は、イスラエルの民を救うため、天からパンを降らせます。
イスラエルの民はそれを見たとき、
「これはなんだ?」と言ったということから、
そのパンを「なんだ?」を意味するマナと名付けます。
このマナを入れるための壺が、「マナの壺」なのです。
そして前方後円墳は、マナの壺をマナの壺を模して作られているのではないか?
と考えられているのです。
秦氏との関係
実際前方後円墳は、これまでユダヤ人として紹介してきた秦氏が、日本にやってきた後に出現しています。
また、ユダヤからの渡来人でもあり、豊受大神を信奉する一団は、京丹後に到達したことも明らかになっています。
そしてこの京丹後の地には、籠神社の奥宮として眞名井神社という神社があります。
さらに秦氏という一族は、機織り、酒造に加えて土木工事の技術も兼ね備えていたと言われています。
秦氏は天皇の墓作りに関わることで、日本に貢献しながら、自分たちのアイデンティティの1つでもある「マナの壺」を日本に出現させたかったのではないでしょうか?