京都府 歴史

前方後円墳はユダヤのマナの壺?!

2024年01月08日 / 15301

こんにちは。
日本の神々編集部です。

今回も、古代日本とユダヤの知られざる関係を明かしていきます。


あなたは、前方後円墳が「マナの壺」を真似て作られたことを知っていますか?

「マナの壺」は、旧約聖書で重要な人物モーセという預言者と、深い関わりがあります。

モーセは、エジプトで奴隷にされていたイスラエルの民を、約束の地であるカナンに導くようにと、主なる神から言われます。

これが有名な「出エジプト」という旧約聖書の場面。

ここで、海を真っ二つに割ったりなどの、いろんな奇跡が起こるのですが…

前方後円墳はユダヤのマナの壺?! -目次-

空から・・・

イスラエルの民が砂漠で放浪することになった時、
「食べ物がほしい」と、彼らはモーセと主なる神に駄々をこね始めます。

ここで主なる神は、イスラエルの民を救うため、天からパンを降らせます。

イスラエルの民はそれを見たとき、
「これはなんだ?」と言ったということから、
そのパンを「なんだ?」を意味するマナと名付けます。

このマナを入れるための壺が、「マナの壺」なのです。

そして前方後円墳は、マナの壺をマナの壺を模して作られているのではないか?
と考えられているのです。

秦氏との関係

実際前方後円墳は、これまでユダヤ人として紹介してきた秦氏が、日本にやってきた後に出現しています。

また、ユダヤからの渡来人でもあり、豊受大神を信奉する一団は、京丹後に到達したことも明らかになっています。

そしてこの京丹後の地には、籠神社の奥宮として眞名井神社という神社があります。

さらに秦氏という一族は、機織り、酒造に加えて土木工事の技術も兼ね備えていたと言われています。

秦氏は天皇の墓作りに関わることで、日本に貢献しながら、自分たちのアイデンティティの1つでもある「マナの壺」を日本に出現させたかったのではないでしょうか?